私たちの誓い

~誰もが生命と権利を尊重され、支え合い認め合う社会であるために~

相模原市やまゆり園で起きた凄惨な事件は、深い悲しみと強い憤りを感じるとともに、常に私た
ちの心の内にありながら、これまで蓋をしてきたことに思い至ります。
それは、障害者権利条約を批准し、障害者差別解消法が施行されても、この国の障害者やマイノリティ(社会的少数派・社会的弱者)と言われる人々の置かれた状況は、呉秀三が『実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』と訴えた頃となんら変わっていないという事実です。
今回の事件のようにあからさまに『攻撃の対象』とされることは稀であっても、ひとたび利害関係が生じれば、例えば、障害者施設や保育園、児童養護施設などが建設されることに対して、地域住民による反対運動がおこるように、支援を必要とする人々への偏見や差別感情がむき出しになる場合があります。
そのような地域社会と向き合ったときに、私たちはどのような行動がとれるでしょうか。過去に起こった薬害被害等による当事者が、二次的に社会から排除され、偏見や差別を受けてきた事実を前に、私たちは何を学び、どのような実践を行ったでしょうか。また、現代社会においては科学技術の進歩により出生前診断は検査の精度が上がる一方で、「いのちの選別」といった言葉が使われ、賛否両論の議論が続いています。
福祉に携わる私たちの心の中には、偏見や差別感情が絶対ないと言いきれるのか、また、個人や社会や自らの偏見や差別感情に対してどのように行動してきたか、そのことを突きつけられているからこそ、私たちはそれぞれの心の中に重いものを埋め込まれたという感覚から抜けだすことができません。いや、「抜け出す」ことを求めるのではなく、私たちは、この感覚を受け止めるところから始めなければならないと思うのです。
支援者と呼ばれる私たち自身、生身の人間ですから理念や理想を求め続けることに困難を感じることがあります。その困難さを感じるからこそ、多くの人に支えられ、助けられていることを改めて実感することができます。すべての人が各々の役割を持ってこの世に生を受け、その生を全うすることを認め合い、支え合うために私たちの専門性は社会に活かされるのです。そのためには、人の命は何よりも重いという当たり前のことを、何度も何度でも確認し合わなければなりません。
「誰にでも等しく権利が認められ、尊厳が護られる社会」「自分自身で自分を守ることが難しい人々が安心して生活できる社会」
「だからといって、日常社会から切り離し、囲い込んでしまうことのない社会」「ノーマライゼーションやインクルージョンが言葉や理念だけではなく、実現する社会」「壁を高く、厚くするのではなく、低く薄くし、すべての障壁を取り除こうとする社会」私たちは、このような社会を目指してこれまでさまざまな取り組みをしてきたはずでしたが、今回の事件では、実現にはまだまだ遠い道のりがあるということを改めて突き付けられた思いがします。しかし、私たちはこの現実を受け止め、これからもさまざまな障壁が取り除かれる社会を目指していきたいと思います。
多くの命が奪われた今回の事件を風化させず、二度とこのような事件を起こさないために、これから何を行い、何を伝えるのか、考え続け、実践し続けること、決してあきらめず、努力し続けることを私たちは誓います。

平成28年9月3日
公益社団法人東京社会福祉士会会長大輪典子